最近私は、自分がある単語や言葉を略して使うことが多いと感じた。例えば、
・ショボイ→華やかでない。(「小規模」から派生したと私は考えている)
・キモイ→気持ち悪い。
・ナツイ→懐かしい。
などである。このような「略語」は若者と呼ばれる年齢の者が使っていて、それより年上の人々は使っていないと考えられているようだ。しかし、世間に認められて辞書にも載っている略語がある。
・サボる→(サボの動詞化)怠ける。怠けて仕事を休む。ずる休みをする。
Sabotageを語源とするこの言葉は、略語でありながら広い年齢層の人々が使っている。しかも上記のサボとはサボタージュの略であり、略語から言葉が派生するという面白い現象が起きている。
だが「サボる」以外に世間一般に広まっている略語を思いつくことは出来なかった。よって、略語は若者が使っている言葉で年上の人々は使っていない、というのは事実であると私は考える。
さて、なぜ若者は若者ことば=略語を好むか考えてみたい。理由のひとつには言葉を短くした方が言いやすいということがあるが、それはすぐ納得出来る理由であろう。
他に理由として考えられるのは、短い方が節約になるということである。何の節約になるかというと、若者の必需品である携帯電話のメール料金である。(ちなみに携帯電話の機能で、電話よりメールを多用している傾向はどの世代でもみられている)ナツイは二字、キモイは三字、ショボイは四字も元の言葉より短い。メール料金は一字何円というように設定されているので、短い方が安くなるわけだ。そんな一字二字の違いで節約と言えるのか?と思う人には、塵も積もれば山となるという諺を思い出してもらいたい。一ヶ月にやりとりするメールの数は一通ではないのだ。
次に、若者が若者ことばをたくさん使っている一方でそれが世間で好感を持たれていないことについて述べようと思う。
略語はメールの世界だけでなく、実際の話し言葉としても出てきた。メールが日常化しているから仕方ないと言えばそうだが、ただ話し言葉として登場しただけではなかった。「正しい日本語」と引き換えに登場してしまったのだ。「最低限のことが出来て、その上に責任を伴う自由がある」と学校の校則について説明する先生を何度も見たが、若者ことばにもその説明が当てはまる。最低限の正しい日本語が使えていないのに、どうして略語を使うのか。言い換えると、略語を使っているから正しい日本語が使えなくなるのだ、ということだ。これは若者が大いに反省すべきことである。利益を追求するあまり真実が見えなくなるなど政界だけで十分である。
メールをやめろとは誰も言えないし言わない。だが「最低限のことが出来て、その上に責任を伴う自由がある」ことを忘れてメール、それに使う略語に依存するのは間違いだ。本来は正しい日本語という基盤の上に立つ略語なのだから、若者はその基盤をしっかりと固めてから若者ことばを自分の言語として扱うべきである。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索